「ぷるり」の理念
「ぷるり」は複言語主義/plurilingualism/plurilinguismeを基本理念とするグループです。「ぷるり」の複言語主義は、2020年代の日本で一般に複言語主義ととらえられているものとかなり違うかもしれません。ひとことで言って「言葉より人間を大事にする」複言語主義です。教育の場では、教え手の都合より学び手の心を大切にする複言語主義です。ひとりひとりの人の中で複数の言語が有機的に関係しあって人間のために機能することをめざす複言語主義です。言語間の形式的な平等より人間間の現実的な平等をめざし、人間を大事にして全人類のよりよい未来作りのために貢献することをめざす複言語主義です。「ひとつの言葉、文化の理解に専念してこれを極めることが大事」という考え方は大切ですが、大切だからこそ複数の言葉、複数の文化の理解が専念したい言語、文化の理解を助け、むしろ高度なものとすることを知っている複言語主義です。このような複言語主義こそ今の世界、今の日本の文脈において真に求められている複言語主義だと考えます。
そして「ぷるり」は、特定の政党・思想的グループを支持したり攻撃したりするものではありません。ご理解いただけましたら幸いです。
AIがカンペキな翻訳・通訳をしてくれるのと、あなたが自分の頭と口と耳を有機的に繋げて目の前にいる人の言葉を話そうとすることは、ぜんぜん違うことです。
物心ついた人間はみな、自分がいつかは死ぬことを知っています。自分の命が限りあることを知っています。何を勉強するにしても、その勉強に費やす時間が限りある生の時間の一部であることを知っています。もしあるひとがある言葉を異にする人に、その人の言葉を話して見せるなら、ちょうどアクションペインティングの作品が創作過程を作品自体の中に残すように、話す人の心身全体が「わたしは、あなたのことばを話します。わたしは限りある自分の命の一部をあなたのことばを覚えるのに費やしました」と言っていることになります。 これが大事だと思うのです。
ひとりのひとの中にあるばらばらな思いがひとつの考えにまとめあげられ、言葉として、命に限りあるひとの身体に組み込まれている発声器官、他のひとの顔と相対する自分の顔の真ん中にある「口」を通じてオモテに出てくるというのは、人間においてしかできないことのはずです。
また、自分の言葉と、それとは異なる言葉が、ひとりのひとの中に有機的に共存して機能するならば、異なる時代に、異国で生きたひとがさまざまな言語で自らの苦しみ、喜びを表現しているのを読み取って、自らのものとして体験できる状況が見えてきます。そのような複言語状況に貢献することが、世の全ての人を大切にすることに、現代における真の見識をもつことになるはずなのです。
自分の言葉とは違う言葉をマスターするには、たしかに大きな努力と時間が必要です。でも「言葉より人間を大切にする」ことを考えるならば、表情や身振り、英語を始めとする広範囲でもちいられる言語など全てを総動員して、複言語で相手の心がわたしに分かり、またわたしの心を相手に分かってもらえればそれでよし、それがよいとする発想が生まれてくるはずです。
最初は「ぷるり」も、何かしらの意味で標準フランス語の関係する講座活動が主になりますが、今後「ぷるり」の趣旨・大義に賛同される方に合流いただき、活動を多様化して、豊かにしていくことを目指しています。
「ぷるり」の方向性に興味を持たれましたらご連絡ください。「フェロー」になっていただきます(フェローには何の義務・責任もありません。お名前も秘匿されます。フェローのお名前、連絡先は代表のみが把握します。フェローは「ぷるり」の活動、活動方針をウォッチングしてアドバイス、批判をしていただく役割です)。お願いいたします。
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アフリカ系講座設立趣旨
このロゴ――というほどでもないですが――を覚えておられる方も多いかと思われます。
あのころ――90年代末から2000年代初頭――、アルジェリアのraiという音楽ジャンルの隆盛が、なんだか世界全体の進展とシンクロしているような感覚を持っていました。
柄にもなくエキサイトしました。嬉々として[raiニュース]などというのも書いておりました。
ライやアルジェリア音楽を通じてアルジェリアを、フランスを、そして世界の歩みを見守りたい。そんな気持ちでした。
実は大学でもライを聞きながらアルジェリアを紹介するという授業を勝手に開設しておりました。理系の学生さんの受講が多かったです。まだアルジェリアはテロの時代。アルジェリアに行く日本人というと石油・天然ガスプラント関係、のちには道路建設関係で理系の技術者の方ばかりの時代です。受講生にはなんとなく「自分が命を捧げることになるかもしれないアフリカのこの国のひとは、どんな人たちだろう」という思いがあるように感じられたものです。
その後ライ人気が衰えても、授業を全然やめてしまう、というのはなんとなく間違っている気がいたしまして、話を一気にアフリカ系人全体に拡大して「アフリカ系人の音楽を通じて知る現代の世界」という授業を組み上げてみました。
アフリカの進歩・発展に関する言説が日本の高等教育でその重要性に見合うような存在感をまるでもっていないのは、少々ひどすぎると思います。それには隠された大きな原因があると思いますがそれはまた別の機会にお話ししたいと思います。
というわけで、大学を離れたあと、ネットによる文化・語学講座を並べた「ぷるり 複言語文化協会」を作りました。
「ぷるり」の文化講座――アフリカと文学――は主に、日本で大学に入学する若者が強く求めていながらどこでも与えられていない「21世紀の本物の教養」を提供しようという試みです。
ご覧になってお分かりかと思いますが、文化講座も語学講座も「アフリカ」の存在感が大きいものです。(あとは世界の文学をその本来の読者、その作品を真に必要とするひとに送り届けることで人類全体を前進させるのが趣旨の「文学概論」と、その世界文学のなかでもっとも複言語主義を具現して成長する「カナダ文学」を加えました)
(実はあとひとつ「ベトナム文学とフランス文学」というのを金沢大学で試みていたのですが、これ以上フルでリアルタイム授業をやっていたら年寄りの身が持たないのでもう少し落ち着いてから考えることにいたします(もっともベトナム文学は「文学概論III」に一回含まれるはずです)
アフリカは二重の意味で複言語的です。さまざまな民族語、地方語と公用語である英仏葡それから標準アラビア語。そしてその公用語である英仏葡語間。
カナダも二重の意味で複言語的です。英仏という公用語間。公用語と、先住民語および移民層の出自の言語群間。
両者は、現代文化の先端にあって、前に進んでいると思います。
正直、ライに燃えていたころほどの思い入れを、今わたくしがアフリカやカナダに持っているかというと、そうは言えないと思います。
でも、それでも今世界でウォッチングすべきは何かと問われれば、この二地域が重要であると思う、とは言えます。
ということでFacebookページ「PLURIぷるり 複言語文化協会」では、文化を中心に前進、漸進するカナダとアフリカをウォッチする「弗加」コーナーを存在させて、たとえ小さな一歩であっても世界の前進を示唆するようなニュース・イベントについて投稿させていただこうと思います。
どうかウォッチングお願いいたします。